寄稿 小林眞人さん(10期)  ジャズ考

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ジャズ考

ジャズ考
キョクタンな音楽教育  
わたくし、生まれも育ちも杉並荻窪です。1944年11月荻窪病院で産湯をつかい、人生の初(しょ)っ端(ぱな)で聞いた音、空襲警報によって病院を追われ、荻窪界隈を転々として79年。

先月7月8日、母校で初めて生き生きとした音、ジャズの生演奏に遭遇しました。それまでジャズといえば生き生きとしていない演奏を30年前に聞いたのが一度きり(注)、メディアを通してもほとんど聞いたことがありませんでした。畢竟、わたくしにはジャズを語る資格はありません。家庭では、父が交響楽団楽員で音楽といえばクラシック一辺倒、それ以外は御法度。つまり、歌謡曲、浪曲、ましてやジャズを家の中で聞いたこともなく、それに近づく勇気も持ち合わせていませんでした。

ジャズ初体験  
コンサート当日、諸々の係としてアリーナや出演者控室・玄関などを回りながら、ジャズは好きじゃないけど、世界的なベーシスト、母校の誇り、レジェンド鈴木良雄さんを一度は聴いておかなくちゃと満席の会場出入り口で立ち聞きしました。曲目はわかりません。前方半分に座っている生徒達の背中からはジャズを楽しんでいる様子は感じられません。しかし一般席最後列の男性の方、くつろぎながら首を振ったり膝でリズムをとったりしながらすっかり溶け込んでいるようすでした。開場時に卒業生ではなく近所の者ですが聴いてもいいですかと丁寧に挨拶をされ、開演直前にプログラムを取りに来られた方でした。わたくしはしばらく聴いていましたが、自分の身体はその男性と違って微動だにしません。生徒達もやはり静かでした。  

感動の発生  
休憩後、ピアニストの右手が白鍵の上に降りた一瞬を合図に旋律を支えるドラムとベースとの共演が始まりました。静かに柔らかく粛々と。そして次第に高揚していきます。突然、確かなリズム、確かな音程、確かな響きでアリーナを隈無く覆うベースの一音一音が足の裏から体幹を通って頭頂に達するのを感じました。長周期地震波のように。わたくしとベースとの距離は400名の聴衆を挟んで30メートル。鈴木さんの視線はピアニスト、ドラマーの視線と切り結び、生徒や私たちへもしっかりと達していました。弾(はじ)いた弦から引き出された音は、一度鈴木さんの体内に戻り巡って、楽器の胴体と共鳴しながら新たな音を編成して飛び出しているのではないかと感じました。共通のスコア(総譜)があるわけではない。アイコンタクトとボディコンタクトでアドリブ演奏が続いていく。学生時代、指揮者命(いのち)、楽譜命(いのち)のオーケストラを経験した者には信じられない演奏でした。音の約束事を意識下で互いに信頼している自由な演奏。ピアノの旋律が、ドラムの律動が、深みのあるベースの基音が混然となって予測できない大団円に向かって上昇していきました。
地声が小さいくせに思わず“ブラボー”。生徒の背中が少し動いていたようだったかなあ。  

“クラシックを演奏する人は、なんでつまらなそうな顔して演奏しているのですか?”という面白い質問をネットで拝見。決してつまらなくはありません。楽譜を凝視していないと演奏が止まっちゃうからです。創作能力がないからアドリブ演奏は無理。しかしジャズは音楽そのものへの共感に加えて演奏スタイルが聴く者との距離を滅却させている。新たな音を創造しながら聴く者を想像したことのない世界に誘(いざな)っていく。そこに感動が生まれる原点があると五官で感じたのでした。

(注)生き生きとしていないジャズの生演奏:ニューオーリンズで知人に勧められて入ったプリザベーションホールでの ライブ。会場や演奏雰囲気・曲想はジャズ誕生時を再現しているから、あまり生き生きとしていなかったのかも。                                               
                                 小林 眞人(10期)
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