”2016年同窓会復活総会ホムカムデーで、ご臨席の大先輩が”松溪命名の由来は、松溪中創設に参画された杉並区教育関係者のどなたかの当時の周辺風景の印象にある”と紹介がありました。”松溪”を冠す他の地町名、施設名は聞いたことが無く、普通名詞でもないので、”松溪”は誰かが、新設中学用固有名詞として発明した、唯一無二の創作された校名ではないでしょうか。近隣に校名を借用した”松溪公園”と松溪橋があります。もう少し命名のいわれなどわからぬかと興味をもち、杉並区図書館の郷土資料を探したところ、以下の若干の情報を得ました。
資料1:”杉並区立郷土博物館研究紀要” 久保田恵政氏、第11号(平成15年3月発行)第二部 杉並の川と水源より、その一 善福寺川
”その他関根や東荻の台地(南面する緩やかな斜面)には有名人の別荘が点在していた。これは国木田独歩による武蔵野ブームにより、都心への交通や荻窪駅までさほど遠くなく、近くに清流が流れ田園風景が広がり松林の丘とその奥に秀麗富士の姿が見られるという別荘地の立地条件が揃っていたからである。ちなみに近衛文麿公邸宅であった荻外荘の南側台地(西田の丘)に開校した松溪中学校の校名は、荻外荘から続く丘一帯に松林が続き、下を善福寺川が蛇行している風景があたかも中国の松と渓谷風景に似ているところから命名されたと聞いている。
資料2:”同上研究紀要” 第12号久保田恵政氏、(平成16年3月発行)
杉並の橋、(7)松見橋、松溪橋
”昭和の政治家で首相にもなった近衛文麿公の邸宅「荻外荘」が橋の北側に広がっていた(約一万坪)。ここから屋倉にかけての台地には見事な松林が続いていた。台地の下には善福寺川が清らかに流れていた。そうゆう風景を人々は好んだのであろうか、それで松見や松溪という名が付けられたのであろう。対岸の台地に建てられた松溪中学の元校長によると「学校から眺めるこの風景が中国雲南省、桂林の松と渓谷に似ているので校名を松溪中学校と名付けた」という事である。又同校の校歌に「松の木立」ろいう一節がある事から美しい松が多かった地域といえる。
長い年月をへて松の木も稀少となりましたが、往時の面影は点々とは残ります。コンクリートジャングル化は進行しましたが、松溪は少年の成長と勉学に恵まれた地域環境にあると感じます。